33.古希を迎えて
私もとうとう古希を迎えてしまった。古希は唐の時代の詩人、杜甫の「人生七十古来稀」に由来している。年寿の祝いは奈良時代から行われているが、その当時の寿命の短さから不惑(40歳)を祝ったようだ。近世以降現在の還暦、古希、喜寿、米寿そして近年は白寿を祝うようになった。
現代では医療の進歩により、日本人は世界トップの長寿国となり七十歳は洟垂れ小僧扱い。確かに早世する者は、私の同級生にもままいるが、それこそ天命というものなのだろう。それではこうして寿命を長らえていることが幸せかと言われれば、答えに詰まってしまう。最近の政府の政策を見てみると、年寄りは邪魔な存在、早くいなくなれと言わんばかりのもの。戦後生まれの総理、閣僚だからかとそれこそ年よりは僻んでしまう。
思えば私にとって還暦の年が定年の年でもあった。私は職場には未練がなかったので、これで自由に自分の時間を過ごすことが出来ると思った。しかし無為の一年間だった。このままではダメだと気が付いた。しかし何故か、自分の得た知識や技能を社会奉仕に尽くそうと思う気はなかった。私が考えたことは、趣味の世界で生きることだった。パソコン、ビデオ撮影・編集、ピアノにのめりこんだ。こうして古希を迎える年、昨年だが歩いていて急に気分が悪くなることが何回もあり、たまたま私の通っている医院の近くでなったとき駆け込んだことがあった。血圧が異常に高く、様々な検査を行ったが結局は原因が分らずじまいだった。それから数ヶ月後、大通りで転倒してから体調をくずし、無気力になってしまった。何をどうやってもこの無気力感を癒すことが出来なかった。最近やっとこのままでは自分の存在感がなくなってしまうことに気が付いた。古希を迎え、新年を向かえて自分なりに有意義な生き方をしたいと思うこの頃である。
今は人生八十年、自分が自分であることを認識できて、しかも他人に迷惑をかけないで、この世をおさらば出来ることを願って!
2007.1.25