コラム

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26.戦後60年となって

 先日、東京大空襲から60年の歳月が過ぎた。昭和20年3月10日にB29300機が東京下町に来襲し、まず逃げられないように周囲を高性能ナパーム焼夷弾を投下してから、油脂焼夷弾を投下した。これによって約10万の市民が犠牲になった。
 私たちは城北地区に住んでいたが、建物疎開といって、強制的に家を倒壊させられた。それは側に軍需産業があり焼夷弾の延焼から守るため周囲を空間にするためであった。我が家はその対象になり、引越し先で空襲にあった。5月25日、B29400機によって我が家は焼失した。私は空襲そのものは個人疎開をしていて知らない。が空襲警報が連日ありその都度、今から考えれば何の役にも立たない防空壕(自分たちで庭に作った)から空が真っ赤に染まった光景を覚えている。
 広島・長崎の原爆投下によって戦争は終わった。この戦争の末期は非戦闘員まで殺戮する無差別攻撃であった。皆殺し作戦である。B29の乗組員たちの証言がある。当時彼らはこの戦争で米兵にも相当の犠牲者が出ている。この戦争を早く終わらせるためには、この無差別攻撃当然のことであると信じて疑わなかった。大空襲の悲惨な写真と解説を見て、沈うつな表情でこんなひどいものとは知らなかった。そう、これが加害者の言である。我々自身はこの戦争末期は被害者であり、加害者への憎しみは消えるものではない。
 加害者はすぐに忘れるが、被害者はいつまでも忘れないものである。この戦争では、日本は東南アジアに対して加害者である。日本はもっともっと被害者に対して謙虚でなければならない。政治家がよく被害者を刺激するような言動をするが、私たちが受けた痛みを忘れてしまったか、あるいは十分承知した上での確信犯かのいずれかだ。
 もう一つ、今の若い人たちは、日本がアメリカと戦争をしたことを、信じられないが知らないと言う人が多い。月日がそういうことを風化させてしまったようだ。広島・長崎で私は何回か被害にあった語り部の方の原爆の悲惨なお話を拝聴したが、彼らも年をとり、肉声でのお話を聞く機会が少なくなった。それに変わるものがTVによる映像化されたドキュメントであろう。戦争は二度とあってはならない。

2005.3.24