コラム

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10.20年前のコラムから

 先日部屋を整理していたら、20年程前に書いていたコラムが出てきた。あまりの懐かしさに2,3掲載することにしました。

 連休が終わった。どこもかしこも人の波でうずまり人々は今日からまた、学校に、職場にといつもと変わらぬ常態に戻る。私はこの4日間、ずっと家にいた。わざわざ疲れるために遠出するのはごめんだ。
 貿易摩擦の原因の一つとして、欧米から指摘されるものに日本人の働き過ぎがいつもあげられる。欧米の休日は長いようだ。一週間などとケチなものではなく、一家を挙げてバカンスを楽しむ。生活のために働くのか、余暇を楽しむために働くのか難しいところだが、日本人の働きぶりを美徳の一つに考えるのは、そろそろ返上すべきだろう。
 人気取りかもしれないが、現に労働大臣が提唱しているではないか。一気に欧米並みとはいかなくとも、そういう時代が近付いてきているのだ。

 この夏は大変暑かった。あまりの暑さにへばり気味である。そういう中でイー・オリョンという韓国の大学教授が書いた「『縮み』志向の日本人」は面白かった。彼によれば、日本の文化は「縮み」の文化であるという。世界で最も短い形式の「俳句」しかり、日本庭園しかり。今日、日本が経済大国になったのも、この縮み志向の結果で、電化製品のほとんどがこの志向から生まれた。自動車も最初から小型車で、米国と対抗したから成功したのだという。
 そして「広がり」に弱い日本文化の素顔が現れたのが、秀吉の朝鮮出兵であり、第二次世界大戦であった。日本人に大国意識が芽生え、「縮み」から「広がり」に転換しようとする時が危険だという。最後に日本人が大国になりたければ鬼になるな、一寸法師になれ!と結んでいる。いろいろと考えさせられた。

 今評判の中国映画「西太后」を観た。彼女は清朝を滅亡に追いやった人物として、則天武后と並んで中国の悪女として、つとに有名である。世間一般には、女だてらにという近視眼的な観点から人物評価をする傾向がないではないが、私が関心を持ったのは二点である。
 第一点は権力闘争のすさまじさである。自分に対抗する者に対するあくなき弾圧、報復は人間性を失って、我が子を殺すまでに至る。これは形を変えて、現代社会のさまざまな場で存在している。私は、自分だけはそのような渦中に巻き込まれまいという思いを強くした。
 第二点は、植民地化された中国の悲劇は、満州民族による漢民族支配ということのみにとらわれ、国家存亡という認識が持てなかったことである。日本のあの幕末の動きとは、実に対照的であったということである。