2006年

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5月  

2006年5月31日(水)


パンフレット

 午前中ピアノのレッスン。本当は今日で「埴生の宿」終了のはずであったが、より完成させるため次回までに練習をするハメに。次回から「ユーアー・マイ・サンシャイン」を練習する。がんばるぞ!午後から、ミュージカル「HUMANITY」を観に出かける。新宿の「コマ劇場」、私が学生時代歌舞伎町をうろちょろしていたころ建てられた劇場。入場したのは初めて。2千人収容出来る大きな劇場だ。「モモタロウと愉快な仲間たち」が今日の演目。出演者は岸谷五朗、寺脇康文、唐沢寿明、戸田恵子、高橋由美子など一流メンバー。ゴージャスでテンポの速い音楽と動きの速いダンスそれなりに魅了されたが、内容が私には理解できない。どうやら解説によれば、桃太郎ならぬ桃から生まれた「タネタロウ」が鬼退治で気付かされたのは、現世での終わりがあるからこそ生きているうちは、全力で燃えていたいということのようだ。理解できない私は演劇など観る資格はないということか。

2006年5月30日(火)

 社会保険庁の国民年金保険料不正免除の件、全く救いようがない。国会で民間から起用した長官の責任を問う声があるが見当違いもはなはだしいと思う。仮に民間会社だったら未納者にどうすれば納入してもらえるか検討するだろう。間違っても不正免除などという発想はないだろう。会社存続の可否がかかっているからだ。そこが役人との違いだ。これは社保庁のみのことではなく、公務員全体にある悪しき体質だ。行政が正常に機能しない国は滅びるのみ。

2006年5月29日(月)


ブランデンブルク門

 国政調査費、本来の目的に使用せず2年間で総額約1億円が高級料亭等で飲食に浪費されていることが新聞報道で判明した。合いも変らず料亭政治が行われていたということか。こんな政治家が国を運営しているかと思うと情けなくて涙も出ない。慣行としていうから今までの金額膨大なものだろう。財政が逼迫しているのを理由に消費税のアップは時間の問題という。ただ参院選を控えて争点になるのを避けているのが本音。こんな輩に当選してもらいたくない。社会保険庁の問題も考えるとこの日本にはもう未来がない。これからの日本を荷う若者にも覇気がないし、お手上げですか?

2006年5月28日(日)

 私の古いパソコン、前の家のお孫さんが学校の授業でパソコンを使うので練習用に欲しいというのであげることにした。妻より連絡があり、明日夕方帰るとのこと。ご苦労様です。
 ドイツの古都ドレスデン、空爆でかなりの被害を蒙ったという。空爆前の写真と空爆後の写真比較できるようになっているが、本当にひどい。しかもこの空爆で亡くなった人が山と詰まれている写真もあった。戦争とはかくもひどいものなのだ。戦争だから加害者は許されるのだろうか。思わず、ニューヨークのビル突入と比較してしまった。こういう比較はいけないこと充分分っています…。そんな中で城壁に描かれた「君主の行進」マイセン磁器のタイルだったので、城が炎上したのにこの壁画だけが炎に耐えたという。

2006年5月27日(土)

 朝、電話があり、妻の叔母が亡くなったとのこと。わかり次第通夜、葬儀連絡するとのことで10時ごろ今夜通夜明日葬儀と決まったそうだ。昼過ぎの新幹線で出かける。通夜には間に合う。彼女は2ヶ月弱で3回の帰山。やむを得ないこととはいえチョット大変。ぼんやりとしていたらTVの速報でジョクジャカルタで地震があり、死者が多数出たという。私は2,3年前に旅行している。本当は当時私はミャンマーに行きたかったのだが、人数が少なく取りやめになり、バリ・ジョクジャカルタのボロブドゥール遺跡に変えたのだ。バリは前の年繁華街でテロがあったばかりだった。新聞の写真ではこの地震のため、ボロブドゥール遺跡の仏像の首が転げ落ちているのがあった。被災者の方々、気を落とさずガンバッてください。

2006年5月26日(金)

 マイセンの磁器博物館に入場。ここで知ったことだがマイセンの磁器は最高級品として世界に知られ、しかも目が飛び出るほど高い。そもそも磁器の技術は中国、後に朝鮮、日本では17世紀の有田焼が有名。当時、西洋では白磁器を作る技術がなく中国、日本から輸入していたという。18世紀の初め、錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベットーガー白磁を焼くことに成功。時の王はその製法が外部に漏れないよう城内に磁器工場を造り、ベットガーは幽閉状態に置かれたという。博物館には確かに東洋では考えられない絢爛豪華な作品があり感心した。磁器が作られる行程を見学したが、私は有田で何回か見ているので、興味がわかない。

2006年5月25日(木)

 昨日の写真のシェーンブルン宮殿、TVでよくみる建物。実際に見るこの宮殿、広大な庭園を始めとして室内全体の華麗さに圧倒される。大ギャラリーリーは当時祝賀用ホールだったところ。私たちが訪れた前日はEUの会議が行われていたという。ハプスブルク家といえば、直ぐにマリア・テレジア、マリー・アントワネットという名が思い浮かぶ。その彼女の穏やかなふくよかな大きな肖像画を見る。16人の子供を生んだというのがうそのように思える。戦争ではなく、婚姻政策によって大帝国にしたという。そんなことを考えていたら、先日行ったトルコのイスタンブールの国際空港が大火災を起こしているという。テロの疑いはなくどうも漏電の疑いが強いとのこと、不幸中の幸いというべきか。

2006年5月24日(水)


シェーンブルン宮殿

 ピアノ、約1ヶ月後のレッスン。課題曲どうにかこうにか暗譜して弾けるようになった。旅行のためずーとお休みしていたので、来週もある。来週で完全に終わることになるだろう。6月から新しい曲になる。
 今回の旅行で、知ったのだがハンガリーはヨーロッパにおいて唯一アジア人の国とのこと。マジャール人騎馬民族の末裔で、赤ん坊に蒙古斑があるそうだ。元々は農業国であったが、戦後ソ連の支配化の下、工業が発展した。現在は市場原理導入が進み、日本の経済進出が著しいという。17世紀にハプスブルク家の支配下に入った。首都ブタペストはドナウ側をはさんでブタとペスト、つまり旧市外と新市街がある。私は今回の旅で気に入った場所の一つで、ナイトクルーズよかった。

2006年5月23日(火)

 海外旅行中は日本の出来事は衛星TVもないのでいっさい分らない。その分いらいらしないので、精神衛生上はいいのかもしれない。帰りの飛行機が全日空だったので小嶋社長の逮捕を知った。家に帰ってTVをみると、残虐な犯罪があるのを知った。数日前の新聞によると、団塊の世代の退職金の貯蓄を獲得するため証明書があれば、定期預金の利息をかなり上回る額で優遇するとあった。チョット待て!銀行よ。それはないだろう。国家の金で不良債権を乗り切ったのではないのか。だとすれば我々の納めた税金で銀行はつぶれずに済んだのではないか。団塊の世代だけではなく、国民全部に平等に優遇相当の利息をつけて貰おうではないか。全く不愉快だ。これでは何時までたっても信用回復は出来ないだろう!

2006年5月22日(月)


ベルガモン博物館にて

 ベルリンにあるペルガモン博物館、全く素晴らしいの一言。というのは、トルコのベルガマの遺跡をほとんど発掘して博物館にしたもの。案内者は泥棒博物館ではないと強調していた。しかし他国にやってきて発掘調査してそれを自国に持ち帰る行為は泥棒そのものではないか。中国の敦厚の壁画も各国の調査隊が引き剥がして持ち帰っていて、遺跡そのものを破損しているといっても過言ではない。そう考えると西洋の博物館は、すべてそういう行為で収集されているものであろう。許しがたい。

2006年5月21日(日)


ベルリンの壁

 ポツダムに行く。ここはドイツが敗れ、その戦後処理の会議が行われたところだ。最初はベルリンで行われる予定だったが、会議を行う建物がなく、ここに決まったという。しかも我々日本人にとっても忘れられない場所だ。ソ連の参戦と日本の無条件降伏が協議されたところだ。写真撮影が禁じられているが、3首脳が宿泊した部屋、会議場が大切に保存されている。ドイツにとっても屈辱のはずだが、歴史的に意義のある場所ゆえだからか。スターリンはここでも暗殺を恐れて隣接の部屋に直ぐ行ける部屋を確保したという。暗殺者は己も暗殺されるのを常に意識しているということか。ここを見学して、あの当時のことを思い出す。東京の空襲、原爆ソ連の参戦とシベリヤの強制労働など。

2006年5月20日(土)


ベルリンの壁

 ベルリンの見学。何処もかしこもベルリンだけではなくドイツ中は工事中。聞くところによるとワールドカップが6月に行われるためのようだ。第二次世界大戦での空爆で瓦礫の山となってしまったこの町は市民の協力もあって昔の姿に戻したという。石の文化であるからそれは時間がかかったことであろう。瓦礫の中から使えるものを探し出すという気の遠くなる作業だ。ベルリンは東西に分離され、西ベルリンは孤立状態であったその証拠が東西に分ける壁だ。その一部が保存されている。私たちを案内した女性は、東ドイツ出身の方で東ドイツの人々はこんなはずではなかったという不満があるという。生活が苦しいそうだ。失業率は平均して10パーセント、多いところでは30パーセントだそうだ。私たちはそう考えると分離されなかった分幸せかも知れない。

2006年5月19日(金)


レストランの看板

 昨日夕刻帰国。帰宅前に、Tさんと寿司を思い切り食べた。美味しかった。時差ぼけで朝晩が逆になって弱った。やはり長期の海外旅行はもう無理のようだ。とは言えまた行きたくなるころは、そんなことは忘れて行くことになるだろう。今回は中欧だったが、やはり行っただけの甲斐はあった。大陸という地続きということから、昔から領地争いが絶えない所だが、歴史の重みは大きい。何処を見学してもそれが感じられる。旧市街は特にそうだ。今度は北欧に行ってみたいものだ。

2006年5月9日(火)

 今日から海外旅行に出かけます。18日に帰国しますのでその間お休みします。

2006年5月8日(月)


山口・ザビエル教会

 夜遅くまで旅支度。極度の物忘れでスーツケースに入れて送ってしまった物を、一生懸命探している始末。こんな調子で大丈夫かなー、ちょっと心配というよりも、同行するTさんに迷惑をかけることになっては申し訳ない。山口から帰ったばかりで新聞を読んでいないので、見出しだけを追ってみたところ、朝日新聞の世論調査で「東京裁判」を知らないと答えた人が7割もいるとのこと。びっくり、悲惨な戦争が風化してしまったことを実感する。日本全体が右傾化していくのが怖い。考えてみれば戦争体験者が少なくなってしまっていることでこんな結果が生じたのだろうか。靖国問題が理解されないのも無理ないという事か。

2006年5月7日(日)


山口にて

 同行するT氏と海外旅行の打ち合わせ。私はその時点で何も準備していない。万一に備えてビデオカメラ、三脚を2つ持って行くつもりでいたが、T氏は考えていないようだ。夜10時からスーツケースに積み込みを始めた。飲み物のつまみが結構多い。考えてみればバカみたいだが持参することにした。三脚2台はちょっときついので、T氏の言うように予備はやめた。明日の午後にスーツーケース受け取りに来る手はずをしていたのでやっと安心した。後は明日夕方医者にお願いして、万一に備えて旅行用の何種類かの薬をいただきに行くつもり。添乗員の連絡事項にパスポート忘れないようにと言われたが、最近とみに物忘れが激しい。用心用心!

2006年5月6日(土)


山口市内商店街

 山口より帰宅。交通機関は往復新幹線を利用。今では考えられないほどの時間で東京へ。本当にびっくりする。さすが大型連休ということなのか、指定席座席が空けば、直ぐに埋まる。昔同じく山口に行ったとき、夜行寝台車ダブルブッキングで大いに困った経験を思い出す。今日からまた今までの生活に戻ることになるが、9日から中欧に旅行する準備が待っている。まだ何もしていないがもたもたしていると大変なことになる。同行の添乗員から電話があり諸注意があった。チェコはユーロがまだ使用できないので、日本円で当地で両替することになるのでそのつもりでといわれた。加盟国でもそういうことがあるのだ。楽しみがまた増えた。あと何年海外旅行できるのか、行ける元気なうちにと思っている。

2006年5月1日(月)

 義弟の一周忌に行きますので、6日から続けます。上の赤い4月をクリックしてください。なお、写真クリックすると大きくなります。